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ポポDaily

うつ病無職のたわごとです

一匹のネズミの命を奪った話

雑感

この一時間に起きた話をしたいと思う。

ちなみにこのブログは日記以前に散文を記録する、いわば長いtwitterのようなものなのでまえがきが助長だったり説明が長すぎたりするかもしれない。

読んでくださる奇特な方には申し訳ないので、この文章から感じられるめんどくさい人柄故、yahooニュースを見た方が良いと僭越ながらおススメしたいと思います。

 

 

本日2016/11/22早朝に地震があった。

揺れにいち早く気が付いた私はさっと身を起して、ゆったりと円を描くような揺れに危機感を覚え、同居人を文字通り叩いて起して、飼い猫には首輪(迷子札付き)をつけ、財布や貴重品をひとまとめにした。この間30秒のことだった。

永遠にも思えるほど揺れは続き(実際は数分なのだが)、ただただ収まることを願った。

テレビの速報がようやく流れる。どうやら震度4らしい。

しばし同居人と10分ほどテレビにくぎ付けになったが、寝不足の彼はさっさと布団をかぶる。

私もそうしたいのは山々だったが、胸がドキドキと痛いぐらい波打っていて(月並みな言葉だけど本当にそうだった)、睡眠なんて冗談のようだった。

飼い主に猫も似るのか、飼い猫もそそくさと寝床へ戻り、うとうとしている。

地震は人間にも猫にも体感的に予測することはできない。

一応、地震予知を可能にする技術もないそうだから、機械にも予測はできない。

神のみぞ知る(そして神はそれを教えてはくれない)というやつなのだ。

だからいくらテレビをみていようが、twitterをみていようが、私には何も感じられないし、いつかくる地震に怯えて待つことしかできない。

幸いなことに津波の避難区域ではなかったのだが、いつかの震災を思い出し、この町は川に囲まれて海が近いから津波でも来たら逃げ場がないな…と思いながら、テレビをみていた。

私は近所の巨大デパートに逃げるしかない。大きな川から1km程度しか離れていないけど。

 

日本(というか関東)の凄いところは、何もかものリカバリーが早すぎる。

交通網も、地震に怯えるメンタルさえも、「それを気にしていたら仕事が回らないぜ」とばかりに復旧していく。

同居人なんて「遅延してるから嫌だなあ」とぼやきながら出勤していった。

新幹線で2時間もかからず行ける街には津波警報で避難している人すらいるのに。

ただ舌を巻くばかりだ。

関東では時間の流れも人の消費も早いから、そういう遠い誰かの存在は希薄に感じがちなのだと思う。

一方私は気分が悪く、吐き気などもあり、眠れるはずもなく、食材を買いに行った。

 

ちょっとしたホームタウンであるこの地域は、人通りは少なくもなく、多くもない。

自転車と距離をもってすれ違える程度の道を、だらだらと歩いていた。

前からくる自転車2台とすれ違った後に、道の真ん中にうごめいていたものがあった。

小さなネズミだ。

ここが山なら野ねずみと称するのだろうが、ここは町中なのでドブネズミだろう。

明らかにこのままでは自転車に引かれてしまうと考えた私は、とりあえず彼だか彼女だかの前に立ち、防波堤となる。

 

どうしようと思った。

明らかにネズミは”死にかけ”だった。よたよたと歩く手足に力がこもっているとはおもえない。

その毛はしっとりと濡れていて、彼だか彼女にはそれを舐めて乾かす余裕も、力もないようだった。

とりあえず邪魔にならないところへと場所を移してやろうと思った。

きれいに舗装された歩道の端には、落ち葉がつもっていた。

そんな季節なのだと日頃の引きこもり具合に場違いにも驚いた。

それぐらい私は困っていた。

また街のネズミなんて細菌の宝庫である。飼い猫になにかあったらたまらない。

でもこのまま見捨てたら、きっと自転車にひかれ死に、カラスだか雀だかがついばむ。

でもこのままどこかにおいてやっても、この状態のネズミが生き残れるとは思えなかった。

 

私は落ち葉にネズミを乗せ、本当に馬鹿なことをしたのだが、彼を運ぼうとした。

もちろん落ち葉からネズミは落ちた。あたりまえだ。

高さは50cmほどだった。そのままネズミは動かなくなった。

一瞬で、私はこの彼だか彼女を殺してしまったのだと悟った。

まだ温かさののこるからだを、今度は手でつかみ、道の端に寄せた。

そそくさとその場を去った。

いまの私にはスコップも亡骸を包む布もないのだから、と自分に言い聞かせながら。

 

自宅へ向かう途中、これまで死なせて(殺した)きた印象的な生き物を思い出す。

私が最初に”理不尽な死”を認識したのは、小5の頃だ。

そのころ虫が好きで、何度もバッタやちょうちょを捕まえては、残酷に殺しはしなかったものの、エサ不足で死なせてしまったり、狭い昆虫箱で死なせたりしていた。

罪悪感はあったけれど、案外ケロッとしたいた。

そしてある転機があった。

青虫を手に乗せてつついていると、じわじわと色が変わっていった。

ついには固くなり、ぽろりと地面に落ちた。

私は「大変なことをしてしまった」と怖くなり、それ以降、虫が怖くなった。

生き物は簡単に死ぬ。

虫は”死”を連想させるものになっていた。

 

自分のかなわない圧倒的な力量差によって、無残に殺される恐怖。

私が一番怖いものだった。

津波でもレイプでも戦争でも医療過誤でも、私の力の及ばないところで、努力もむなしく苦しみぬいて死ぬことが怖い。

地震に巻き込まれたり、市街戦に巻き込まれる夢をよくみる。

意外と他の人はみないのだと知った時には、うつ病で仕事を休職していたものだ。

 

そんなとりとめもないことを考え早足だったおかげかすぐさま自宅についた。

急いで手を洗い、食材を冷蔵庫へぶちこんだ。

そして使っていないハンカチと使い捨てのスプーンを手に取る。

結構私が打算高いところがこれらのことでわかる。

 

殺したネズミを埋葬する。

完全なる自己満足だった。偽善ですらなかった。

ちらちらと埋められそうな場所を目で探しながら、足早に彼だか彼女の元へ行く。

都会は人にも冷たいが、死んだ動物にはもっと冷たい。

車にひかれた野良猫、鳩、雀、彼らは市の職員が”除去”するかカラスが食べていくかのどっちかだ。

だからまだ遺骸はそこにあると確信していた。

 

しかし想定外のことが起きていた。

ネズミはもぞもぞと動いていたのだ。

私はちょっとだけ安心したが、しかしこのネズミはどうにも生き残れないという現実に直面する。

初めてみた時は気が付かなかったが、もともと自転車に引かれたか人に踏まれたのか、腰が立たなくなっているのだ。

立たない腰を引きずるように、四肢をばたつかせている。

それが彼だか彼女の現状だった。

 

だがここに放置していてもカラスの格好のエサであることは間違いないし、また踏まれないとは限らない。

私は彼だか彼女の死に衣の予定だったハンカチで包むように掴み取り、弱い抵抗をみせる、弱ったネズミを安全な場所へ移そうと思った。

歩きながら考える。

あそこの放置された民家なら、草がボウボウに生えているし、木の実もあるはずだ。隠れる場所もある。

だがきっとこのネズミはそこで死ぬ。

私は未来ある個体を運んでいるのではなく、いずれは死ぬ生き物を、ほとんど死体を運んでいるようなものだった。

彼だか彼女に未来はない。だけど、なんとかしてあげたかった。

死に場所ぐらい街の真ん中で轢き殺されて、カラスに食べられるものなんて嫌だった。

 

もはや信念のようなものだった。

ホロコーストを描いた映画で『サウルの息子』という作品があるのだが、大幅なあらすじを削るのは申し訳ないぐらいの名作で、ぜひ色々な方にみてもらいたい作品なのだが、彼は毎日多くの人間が尊厳なく虐殺されていく中で一人の少年の死体を埋葬しようと奔走する。

彼がどうしてそのような”無茶”をやったのかは、様々な映画解説サイトが書いてくださっている通りなので何も言うことはないのだけれど、すべてを超越した信念が彼を突き動かしていたのだと思う。

少し並列して語るにはすべてにおいて恐縮ではある程の名作なのだが、私の行動原理はそこにあった。

 

ネズミは幸いか不幸かハンカチの中で弱弱しくもがいている。

この行為は善なるものか欺瞞なのか。

どちらにせよ”悪意”にもとづくものではないので、装甲悪鬼村正なら、この行為のおかげでネズミも飼い猫も失ってしまうな…なんてしょうもないことを考えていた。

現実逃避しないと、いずれ死ぬ死体を運んでいる事実につぶされそうだった。

 

ようやく荒れた無人の民家前へ着く。

もちろん門は施錠されているので、中へ入ることはできない。

私はちょっとした隙間から、ハンカチごと彼だか彼女をそっと置く。

ネズミはたいそう時間をかけてハンカチから出てきて、また永遠に思えるような時間をかけて周囲を探索しはじめていた。

私はそんな行為でもネズミの死を感じる。

みていられなかったが、どうにも視線を外せなかった。

彼だか彼女がドブネズミじゃなく野良猫だったら、私は即座に動物病院へ連れて行ったしあたたかな家庭を用意しただろう。

人間の子供なら、事故にあった子を放っておく親族はいないだろう(と思いたい)。

きっと宗教戦争や土地や資源を奪い合う内戦もそうだ。

同じ宗派や共感を覚えるような生い立ちでない人間は、少し心残りはあるだろうが、”しょうがなかった”と見殺しにできるのだ。

 

私が獣医だったら?

私が猫を飼っていなかったら?

細菌に感染しない強い抗体を持っていれば?

考えたが結論はでるわけがない。もう感傷のようなものだ。

彼の姿が落ち葉に埋もれて見えなくなったところで、後ろ髪ひかれる思いながら、その場を去った。

自宅の飼い猫をなでたり抱きしめたりする気分にもなれず、昼食をとる気分にもなれず、悶々としている。

 

ということで一つの命を殺した話でした。

きっとそうやって命を殺すことがこれからもあるだろう。

なんだか眠る気分にもなれずブログへ書いた。